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Notes

「多様性」という言葉の残酷さ。1年を何に使ったかで決まる、埋められな い時間の差

 

 

 

「多様性」という名の、耳に心地いい麻酔

 

 

「ありのままの自分を認めてほしい」とか「個性を大事にしたい」とか。

 

今の世の中、どこに行っても「多様性」って言葉が溢れてるじゃないですか。

 

どんな生き方でもいいんだよ、正解なんてないんだよって。

 

 

耳に心地いいし、一見、すごく優しい世界に見えますよね。

 

 

でもね、僕の考えだけど、その「優しさ」が逆にみんなを追い詰めてる気がするんです。

 

 

 

1年前から歩いている人には、どうしたって追いつけない

 

 

時間は残酷ですよ。

 

誰にとっても平等に24時間、365日が流れていく。

 

 

その時間を何かに捧げてきた人と、なんとなく過ごしてきた人。

 

 

人としての価値に上下はないけれど、

積み上げてきた「経験」や歩いてきた「距離」には、どうしても差が出ちゃうんです。

 

先に一歩踏み出した人は、その分だけ遠くまで歩いている。

 

 

たったそれだけの、当たり前の話。

 

 

昨日から歩き始めた人が、一年前から歩き続けている人を「羨ましい」と言っても、

その一年の差を埋める魔法なんて、この多様性の社会にも存在しないんですよね。

 

 

 

「それも人生だよね」という突き放し

 

 

「何もしてこなかった」と焦る人たちに、

周りは「それも一つの多様性だよ」って言うかもしれません。

 

でもそれって、裏を返せば

「君が時間を何に使おうが僕には関係ないし、手助けもしないよ」

 

っていう突き放しでもある。

 

 

「みんな違っていい」という言葉が、

実は「差があるのは当たり前だから、追いつけなくても仕方ないよね」という、

残酷なまでの納得を迫ってくる。

 

 

これって、実は一番きついことじゃないですか。

 

 

 

今、ここから一歩を踏み出す

 

 

だったら、他人が歩いた距離を眺めてため息をつくのはもうやめて、

今ここにある「自分の時間」をどう歩くかだけを考えればいいと思うんです。

 

 

「これまで全然歩いてこなかったな」という事実を認めて、

 

「まあ、ここから一歩ずつ進むしかないか」と開き直れたら、

 

ようやく自分の足が動き出す。

 

誰がどこまで行ったかなんて関係なく、

自分の持ち時間をここから何に使い、どこへ向かうか。

 

 

それだけを、ゆっくり考えていけばいいんです。

 

 

もし、一人で自分の「持ち時間」の使い道が分からなくなって、

どうしようもなくなったら。

 

 

いつでもここにおいで。

 

 

一緒に、これからその時間を何に使っていくか、ゆっくり考えていきましょう。

 

 

 

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