あいつが嫌い、というより、そんな自分に疲れちゃったよね。心の窓を少しだけ開けるお話

最近、うちの従業員たちと、
淹れたてのコーヒーを飲みながら話してたんですけど。
ふと考えちゃったんですよね。
なんでこんなに世の中、ピリピリしてるのかなぁって。(笑)
窓の外を眺めれば、誰かの失言がSNSで炎上してたり、
街を歩けばちょっと肩が触れただけで睨み返されたり。
みんな、誰かの「ダメなところ」を見つけるのが、
いつの間にかすごく上手になっている気がします。
でね、一度「あいつ嫌い」ってなると、もうその人の存在そのものを拒否したくなって、
心のドアをピシャッと閉めて、鍵までかけちゃう。
でも、それって実は、自分を一番苦しくしてるんじゃないかなぁ……。
「正しさ」という壁に、閉じ込められていませんか?
みんな、本当に真面目すぎるんですよね。
あ、でもね、これは「不真面目になれ」って話じゃないんです。
ただ、真面目な人ほど、自分の中に「正解」をしっかり持っている。
だから、そこから1ミリでも外れた人を見ると、「ありえない!」って、
心のドアを閉めて相手をシャットアウトしたくなっちゃう。
でもね、そうやって誰かを拒絶してドアを閉めるたびに、
自分の周りにはどんどん高い「壁」ができていくんです。
「正しい自分でいなきゃいけない」っていうルールに縛られて、
自分までその壁の中から出られなくなってしまう。
そうやって、自分の周りを否定の壁で囲って、
さらには無意識のうちに「立ち入り禁止」の看板まで掲げちゃってたら……。
そりゃあ、周りだって怖くて近づけないですよね。笑
「自分の居場所がない」って寂しくなるのは
実は自分で自分の周りに誰も入れないようにしてしまった結果なのかもしれない。
そんな気がするんです。
100点じゃなくていい。60点の「まあ、いっか」
だからさ、そんなに肩肘張って「正義の味方」でい続けなくていいと思うんです。
相手を好きになれとは言いません。
無理に仲良くしようなんて、もっと不可能。笑
ただね、「相手を否定しなきゃ」と力んでいるとき、
一番疲弊しているのは自分自身なんです。
100点満点の聖人君子になんてならなくていい。
「あいつのことは、正直まだ受け入れられない。
でも、まあ、とりあえず今は視界の端っこに置いておこう」
そんなふうに、60点くらいの「まあ、いっか」で妥協できたら、
その瞬間に自分を閉じ込めていた壁が、少しだけ低くなるんです。
相手を許すのは、相手のためじゃない。
閉めきっていた心の窓を少しだけ開けて、
自分自身がラクに息をつけるようにするためなんだから。
誰かを否定し続けるのは、すごく体力がいること
結局ね、誰かを「許せない」と思い続けるのって、
実はものすごいエネルギーを使うんです。
自分で自分を狭い場所に閉じ込めて、ずっと出口を塞いでいるような、
そんなしんどさ。
「あいつを認めちゃいけない」
「正しくなきゃいけない」って必死になっているうちに、
その窮屈さに自分自身がボロボロになって、動けなくなってしまう。
だから、もしあなたが今、誰かを否定するエネルギーさえも尽きかけていて、
自分だけが損をしているような、そんな虚しい気持ちになっているなら。
その『否定しなきゃ』という力みを、一度ここで緩めてみませんか。