【赤裸々日記】自分らしさってなんだろう?
最後の更新からはや1か月以上が経ちました。
季節は春を通り越して夏に近づいています。
ここ2カ月ほどは、てんてこ舞いとはこういうことかと実感できるほどやることが多く、
上手くいかないことも多く、転んで立ち上がる前にまた転ぶ。みたいな。
自分自身の無力さを痛感しました。
30歳に突入してもなお、自分の無力さや、できなさに辟易していて。
学生の頃に見ていた大人のスマートさ、シンプルさ、カッコよさ。
こんなはずじゃなかったんだけどなあ。と思う今日この頃です。笑
渋いイケオジになれるかどうか怪しくなってきたので、方向転換も含めて検討中です。笑
こうやって今の自分を見つめなおすと、「自分らしさ」って何なんだろうという疑問にぶち当たります。
学生の頃に幾度も経験した「やりたいことがわからない」「自分の得意がわからない」
ただでさえバタバタしているのに、「自分で自分がわからない」スパイラルに陥ってきてもう。
さすがにきつかった。笑
でも、たくさん転んで立ち上がって、誰かの助けを借りたり、助けたり。
少しずつですが、協力してくれる人、助けてくれる人、一緒に楽しもうと思ってくれる人や、期待してくれる人も増えてきて。
「自分らしさ」なんて迷ってる場合じゃねえんだ、これは。
自分のできる最大出力で、協力してくれる人や助けてくれる人のために努力すればええんだ。
100助けてくれたら、110で返せばいいんだよ。
150の期待をかけられたら、200で応えたらいいんだ。
今は100しか返せない?じゃあ100でいい。その代わり110で返せるように必死にやればいい。
結果として100になったなら仕方ない。やり方を考えなおそう。
この、+10の部分。これを自分らしさと呼ぶことにしよう。そう決めた。
自分をレーダーチャートで分析したとき、どうしても凸凹が多くなる。
多くの人はできるだけ正円に近づけようと努力する。不足を埋める。
それじゃ、自分らしさは作れない。
おそらく、自分を助けてくれる人たちが期待していることは、自分の凸の部分だろう。
その部分を使って+10を返す。
え?自分はどこが凸かわからない?
わからなければ、わからないでいいんだ。
自分の魅力は自分でわからなくても大丈夫だよ。
自分の尖っている部分を、魅力を、見出してそこに期待してくれる誰かのことを信じて必死にやる。
それでいいんだよ。
凸凹のレーダーチャートをたくさん重ねたら、より大きな正円に近づいていく。
仲間たちや助けてくれる人たちと、チームのレーダーチャートを大きくしようと
思ったら、自分の凸をきっちり伸ばすのが大切なんだ。
自分の凹は誰かの凸に補ってもらえばいい。
逆に、自分の凸で誰かの凹を補えばいい。
感情は揺らぐし、腹が立つこともある。それは痛いほどわかるよ。
腹が立ってもいい。イラついてもいい。でも、相手の足りないところを責めてる場合じゃない。
完璧なんてないよ。嫌なら今後もっと開発されるであろうAIに頼めばいい。それまで待とう。
感情があるから感動できる。
感情があるから努力できる。
感情があるから力を合わせられる。
人の想像を超える何かを生み出すのは「人」で、もっと言うと人の「感情」だと思う。
だから、自分の人生に、自分を助けてくれる人のために、自分に期待してくれる人のために必死にやろうよ。
そのために、仲間の凸に助けられながら、仲間の凹を助けながら、+10点をクリアし続けていくんだ。
こんな自分には分不相応な「社長」なんて肩書にも少しずつ慣れてきたよ。
でも、言葉に慣れてきただけ。
自分が偉いとか、自分が人よりもできるとか、人の上に立つ人だなんて、いまだにどうしても思えない。
自分の根は、性格は、気質は、自分らしさは、社長でも、アルバイトでも、正社員でも、高校生でも大学生でも
どんな肩書でも根は変わらなかった。実体験として。
ただ、周りの期待値が増えただけ。基準が上がっただけ。
そして、それに応えるだけ。
そんな必死な毎日の積み重ねがどれほど貴重で。
そんな自分に期待をかけてもらえることが、どれほどありがたいことか。
もっと、僕は噛み締めて生きていかないといけない。
さあ、今日も+10%で返し続けよう。
そんな殴り書きをした、赤裸々日記でした。
それではまた次回(^^♪
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