【自己紹介】改めて、自分自身について考えてみた
お前、結局誰やねーーん。
そんな声が聞こえてきそうなので、自分自身の脳内整理や自分の人生の目的地を改めて再確認するのも兼ねて、今回は自己紹介記事を書いてみようかと思いました。
上唇の裏側に結構でかめな口内炎ができて、笑うと痛くて顔が引きつる今日この頃です。
口内炎ってめっちゃ痛くないですか?
全集中力の20%くらいは持っていかれそうなくらい気になる。
あれ、何者なんですか?
しかも、できる場所がこれまたニクいところばっかり。
おい、今回はここかい。盲点や、してやられた!みたいな場所。
口内炎について永遠に語れそうなので、さっさと本題に行きます。笑
私の人生の目的地
はい、これについてはずっと悩んでました。
誰かのことになるとめちゃくちゃ観察力を発揮したり、気分や感情を読み取って協力できるんですが、自分自身のことになると途端に興味を見失う。
だから、自分で自分のことがわからない状態でした。
分かる必要もないというか。
どうせ理解してもらえないと思っていたというか。
まあ実際、自分のことを理解してくれる人には出会ったことがない気がします。親兄弟でさえ。
おかんの腹からオギャアやで!!!!笑
違う方が納得しそうやけどな、戸籍謄本取って確認してんねん!!
れっきとした兄や!!笑
そんなコントはさておき、改めてちゃんと自分自身に向き合って考えてみたんです。今までの人生を振り返って、自分は本当は何をしたかったのか。
今までの経験や感情から自分が社会の一員として成し遂げたいことは何か。
私の人生の目的地は
誰もが大切な人へ、
ありがとうを渡せる社会を創ること
ここにたどり着きました。
日頃からお世話になっているあの人に。
自分の人生を変えてくれたあの人に。
大切なコトをたくさん教えてくれたあの人に。
感謝の想いは、言葉だけでなくサービスを使ったり、プレゼントをしたり。
手紙を書いたり、本当に人によって様々です。
例えば、障害がある人。貧困にあえぐ人。生きづらさを抱えている人。
現代の言葉を借りると「マイノリティ」や「社会的弱者」と呼ばれている当事者たちのそばには、それを支える人たちもいます。
陰で自分のことを支え続けてくれている人。
私たち、いわゆる「健常者」「マジョリティ」は、お世話になったと感謝している人たちにありがとうを伝えるだけではなく、渡せる場というのがたくさん存在します。
誰を否定しているわけでもなく、説明としてわかりやすい形で一般的な例え話をすると、例えば親に対して。
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会社に入ってもらった初任給で、親を食事に連れて行ったんです。
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結婚式で自分の晴れ姿を見てもらい、号泣してました。
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親にいつもありがとうの気持ちで旅行をプレゼントしたんです。
どれも、感謝の気持ちを言葉以外の形にして渡しています。
渡された相手は、今までの苦労や努力、たくさんの迷いや葛藤、これで良かったのかと、このままで良いのかと不安に思っていたけど、無駄じゃなかったんだ!と、強く思える。
でも、今のところ、いわゆる「マイノリティ」や「社会的弱者」の方々が、支えてくれている人に感謝を渡す選択肢を圧倒的に制限されている人が大半だと思います。
理由は後述しますが、僕は様々な福祉事業所で働き、いわゆる障害者の支援をしてきました。
一生懸命努力しても月に15,000円の工賃しかもらえない。
生活がキツキツで苦しい中、寝る間を惜しんで勉強したり日々スキルアップに取り組んで結果を出しても時給が10円も上がらない。
だから、自分のことに精一杯で相手に感謝を渡すなんてとてもじゃないけどできない。
障害者を集めれば国からお金がもらえるから、絶対に潰れないいいビジネスモデルだ、みたいな理由で参入してくる経営者は、障害者という一人の人をただの経費として見てるんですよね。
給料を上げると経費で利益が圧迫される。
だから、上げたくない。
自分も、まだまだ半人前ながら走り出した一人の経営者として、その思いは理解できるようになりました。「キレイゴト」だけで飯は食えません。
それでも、障害者は人であって経費ではない。
そしてその障害者の裏側には、陰ながら踏ん張ってその人を支えている人たちがいる。
その「経費」という扱いは、当事者本人だけではなく、陰ながら歯を食いしばって支えている人たちまでをもバカにしているのではないかと思い、悩みながら、葛藤しながら、迷いながら、小さな罪悪感とともに必死に働いていました。
そんな人たちをひっくるめてみんなが報われるには、障害があろうがなかろうか、マジョリティであろうがなかろうが、正しく努力をして、もがいて必死に出した結果が認められる社会が必要で。そんな社会を創りたいんだと、煮詰めて煮詰めて出した一つの答えが、これでした。
障害者でもマイノリティでも、正しく努力をして、もがいて必死に結果を残し、結果に見合った対価を得て「ありがとうの選択肢」を増やせる社会にしたい!!
目的地を目指す理由
僕がこの目的地を目指す理由としては、大まかに言うと3つの体験があります。
①家族に障害者がいたこと
僕が9歳の頃、およそ2000年代ですね。
自分の父親が「うつ病」になりました。
いつもは外でたくさん遊んでくれたり、冗談を言って笑わせてくれる父親が、突然スイッチが切れたように部屋から出てこなくなりました。
時代的にも甘えで済まされていた時代でしたし、誰にも言えず、助けも求められませんでした。
紆余曲折ありなんとか社会復帰しましたが15年近くの歳月がかかりました。
ですが、最終的に父親は自死を選択します。
それと同時に自分もうつ状態になりました。
今は回復していますが、かなりキツかった!
②自分が謎のウイルスで死にかけたこと
僕が高校生の時に、突如出てきたEBウイルスという名前のウイルスが身体に攻め込んできて、1万人に1人という確率の合併症を引き起こし、死にかけたことがあります。
その時に、
って思いました。
結果としてなんとか復活しましたよ。
死んでも死ななさそうと言われるのは、この体験からかもしれません。笑
まだ高校生で未熟すぎたときの浅い感想なんですが、これは今も自分がこれからの人生をどう生きていきたいかの指標になっていると思います。
症状の兼ね合いで「笑ったら死ぬぞ」ととても偉い医者の先生に脅されて、その時点で年末の特番を思い出して笑いそうになった話や、
その前提で、4人病棟で夜中に突然ソプラノ音のおならが隣から聞こえてきて、死にかけた話は、今でも鉄板ネタです。
おならに殺されかけた人という称号は、おそらく永遠に僕だけのものです。笑
③懸命に生きて、必死に努力して、結果を出そうともがき続けている障害者の人たちが間近にいたこと
いわゆる健常者が努力していないとか、そんなことを言いたいのではありません。
ただひたすらに結果を出そうともがいている姿、努力している姿、懸命に生きようとする姿勢、迷い、悩み、葛藤している姿、目標を達成して喜んでいる姿。
そんな姿を間近で見続けてきて、支えてきて、応援してきて。
この光景は、健常者が必死に努力する姿と何が違うのだろう。
健常者がもがいたり、迷ったり、葛藤するのと、何が違うのだろう。
障害者、健常者、みたいな名前でカテゴリ分けされているような感覚になっているけれど、みんな「人」で、「人生」があり、生きている。
そんな「人」の懸命に人生を生きる姿に、心を奪われました。
まとめ
そんなこんなで暑苦しい創業社長が、障害があろうがなかろうが、必死に努力をして結果を出して対価を得て、お世話になった人への感謝を渡す選択肢が増やせる社会を創りたい!と思った話です。
しっかりと利益や売上が作れること。
僕とともに働く人に障害があろうがなかろうが、一人の「人」として一緒に努力して、苦労や迷いや喜びを分かち合って、対価を得られる会社にすること。
まだまだ創業したてで金もないしスキルもない。半人前で一流には程遠い。
でも、僕はどれだけ転んでも立ち上がります。
笑われても、批判されても、否定されても。
必死に努力してもがいて、最後に笑ってこう言います。
世界を変えるには、まず自分から。
僕は最後まで、本気のあなたを応援すると。
よし、カッコつけて決まったところで、終わっときます!!笑
また次回(^^♪
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