成長は、時に自分を苦しめる毒になりえる
成長したい
この言葉は前向きな言葉として使われることが多く、成長の実感ができると嬉しくなったり、できることが増えたり。
いいことが多いように見えるし、前向きな言葉の代表格として取り上げられることが大半だと思います。
実際に成長を実感すると、もっと前に進みたいと意欲が出てきたり、新たなことにチャレンジすることが楽しくなってくることもあると思います。
しかし、「成長」にとらわれ過ぎてしまうと、躓いてしまうことも多々あります。
今回は、そんな「成長」に関するお話です。
成長って、なに?
みんな簡単に成長という言葉を使いますが、そもそも成長の定義ってなんでしょう?
できないことができるようになること?
許せる範囲が増えること?
パンドラの箱がわかること?
空気を読めるようになること?
おそらく、人によって「成長」の定義は違うんだと思います。
人それぞれである「成長」の定義を他者に当てはめたり押し付けたりすると、「自分のモノサシ」だけで他者を判断してしまいます。
「自分の成長の定義」を持つのはとても良いことだと思いますが、他者にも「成長の定義」があることを踏まえておくことをお勧めします。
成長しないと悪?
では、成長しないことは悪なのでしょうか?
成長しないとダメな理由を言われて納得できる答えがあればいいのですが、だいたいは個人の価値観の話であることが多いと思います。
成長しなくてもいい。
だけど、より望む生活や生き方をしたいなら、成長した方がいい場合もある。
こんな解釈で十分だと思います。
その場でステイするも前に進むのも自分の人生です。
自分で決めていいと思います。
ただ、自分で決めたら自己責任です。人に文句を言うのはやめましょね。
何をもって成長と呼ぶのか
自分の人生において、何を持って成長と呼ぶのか。一度考えて決めてみてもいいかもしれません。
僕にとっての成長は「やったことないことを経験できること」と定義しています。
なんでもやってみてから考えたらいいと思っています。
もちろん、まず大前提として最低限の防御ラインを決めてから、です。
無謀とチャレンジは違います。
僕は無謀に起業してしんどい思いもしたし、一緒に働いてくれる人たちにも迷惑をかけたり、心配させたりしました。
今でこそそれは自分の中で大きな財産になっていますが、しなくてもいい苦労だったとも思います。
ただ、覚悟を決めて一歩を踏み出した自分自身は褒めてやりたいと思うし、それによってたくさんの人と出会う機会をもらいました。
たくさんの価値観に触れる機会をもらいました。
だから、まったく後悔はないです。
この経験や体験をうまく言語化して、従業員の方々や障害をお持ちの方に還元し、自分の周りの人たちが少しでも幸せに生きることができるよう、今日も学びます。
決意表明みたいな感じになりましたが、これからもどうぞよろしくお願いいたしますヾ(≧▽≦)ノ
ではまた次回(^^♪
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