何もしていない人の「正しい言葉」に、もう 耳を貸さなくていいんじゃないかな。

自分では普通に歩いてるつもりでも、周りからは「ふらついてる」って見えるらしいんです
月に一回くらい、定期的に会って話をする人がいるんですよね。
こないだその人と現状の報告みたいなことをしてて、ふと言われたんです。
「毎月、全然違うことやってるよね」って。
それを聞いて、僕自身はちょっとびっくりしたんですよね。
だって、自分の中ではずーっと同じ道を歩いてるつもりだったから。
でも、周りから見たらあっちに行ったりこっちに行ったり
ふらふらしてるように見えてたみたいなんです。
自分が思ってる自分と、人から見えてる自分って
全然違うんだなってハッとしました。
いわゆる「ジョハリの窓」なんて言葉もありますけど
要するに自分の背中は自分じゃ見えないってことなんですよね(笑)
「ちゃんと考えてからにしなよ」っていう、あの優しい呪いについて
自分が気づかないうちに色々手を出してるってことは
まあ、周りから見れば「一貫性がない」って映ることも多いと思うんです。
そうすると、必ず現れるのが
「もっとちゃんと考えてから動いた方がいいよ」っていうアドバイスなんですよね。
心配してくれてるのは分かるんです。
でもね、そういう正論めいた言葉って
だいたい「自分では何もやってない人」から飛んでくることが
多いんじゃないかなって思うんです。
「失敗したらどうするの」とか「それ、意味あるの」とか。
そういう言葉って、すごく尤もらしいから
つい耳を貸して立ち止まりそうになるじゃないですか。
でも、その言葉のせいで身動きが取れなくなるくらいなら
もう聞かなくていいんじゃないかなって、僕なんかは思うんです。
正論を言うだけの観客席より、泥だらけのグラウンドの
方が心地いい(笑)
これって、服の試着みたいなもんだと思うんですよ。
ハンガーに掛かってる服を見て、「うーん、ちょっと派手かな」とか
「私には似合わないかも」って頭の中でどれだけ考えても
結局のところ着てみなきゃ分かんないですよね。
それなのに、試着室の外から「やめといた方がいいよ」って
言ってくる人の言葉を真に受けて、着るのをやめちゃうのって
すごくもったいないと思うんです。
袖を通してみて、鏡を見て、「あ、やっぱり似合わなかったな」って
笑って脱げば、それで済む話じゃないですか。
服を買う前に悩んで立ち尽くすより
とりあえず着てみて失敗する方が、よっぽど次に繋がるんですよね。
やってもないのに講釈を垂れる人たちの言葉って
ハンガーの服を眺めてるだけの感想なんです。
だから、真に受けなくていいんですよ。
結局、僕らを救ってくれるのは、一回の「やってみた」だけなんですよね
一貫性なんて、後から振り返ったときに勝手に出来上がってる
くらいの気持ちでいいんじゃないですかね。
最初からブレないように、完璧な計画を立てようとするから苦しくなるんです。
とりあえず、なんでも1回やってみる。
やってみて、肌に合わなかったら手放せばいい。
「やってもないのに言うな」って、ちょっと乱暴に聞こえるかもしれないですけど
それくらい自分に許可を出してあげていいと思うんです。
外野の言葉に縛られず、自分の感覚で「試着」を繰り返していく方が、
結局のところ生きるのがラクになるんですよね。